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アウトサイダーアートとして捉える「族車」

1.はじめに

日本の自動車文化は、海外ではもはや芸術のような扱いで受容されているといってよい。たとえば煌びやかな装飾が施されたトラックである「デコトラ」は、高級ブランド、グッチの広告ビジュアルで大胆にフィーチャーされ、国を挙げた祭典、パラリンピックの開会式にまでも登場したことは記憶に新しい。バッグで有名なコーチも、アイコニックなトヨタ・スプリンタートレノ、俗にいう「ハチロク」をコマーシャルに抜擢、ロサンゼルスのピーターセン自動車博物館では、「BOSOZOKU」のサンプルとしていわゆる族車が展示されるほどである。

 

講義内において言及のあった「アウトサイダーアート」とは、直訳である「部外者の芸術」の文字通り、もっぱら芸術に関して教育を受けたことのない人々による作品群を指す。

であれば、それがもともとは大量生産された工業製品であれ、思い思いの改造が施された暴走族の駆る車たち、つまるところ族車は、まさに「アウトサイダーアート」に該当するといってよいのではないだろうか。

そんな族車は、決して無秩序な改造様式に従って構築されているわけではない。大胆なデフォルメ、極端な誇張、オリジナリティに溢れながらも、その根底には自動車マニアの憧れ、レーシングカーの文法も確かに含まれている。このレポートでは、暴走族の車たちが持つ要素を一つ一つ解体・吟味しつつ、その本質に迫る。

 

2.グラチャン族の誕生

1971年。静岡県に位置する日本随一のサーキット、富士スピードウェイにて、富士グランチャンピオンレース(グラチャン)が開始する。同サーキットで催された日本グランプリと呼ばれる自動車レースは60年代に絶頂を迎えたものの、70年に中止。グラチャンは、その後釜として企画されたのである。

富士スピードウェイの目論見通り、グラチャンは大きな人気を博す。そこでは完全なレース用設計のレーシングカーのみならず、市販のスポーツカーに改造を施したレーシングカーも混走しており、自分の所有するものと同型の車がサーキットで活躍する、その雄姿を楽しみに富士を訪れる観客も少なくなかった。やがて観客の一部は愛車にレーシングカーを模した改造を施しはじめ、グラチャンの度にサーキットへと集結しだす。そうした車好きたちは次第に「グラチャン族」と呼ばれはじめる。グラチャン族の誕生である。

 

 

3.「族車」の転換点

一目でそれとわかる派手なカラーリング。低い車高、特異な形状。族車といえば、まさにそのようなイメージがあるように思う。実物を見たことが無くとも、アニメや漫画、あるいは駅などに掲示された、違法改造撲滅を掲げるポスターのイラストなどで一度くらいは目にしたことがあるだろう。そんなステレオタイプな族車イメージに程近い改造が普及したのは、これまた自動車レースの影響が大きい。

前述した富士グランチャンピオンレースの前座となるサポートレースとして、1979年、富士スーパーシルエットシリーズがはじまった。主役となるのは特殊プロダクションカーと呼ばれるレーシングカーたちで、それらは市販乗用車の車体をベースとしてはいるものの、大幅な改造とレース専用のエンジンなどが伴う。まさに「フォーミュラカー」のような純粋なレーシングカーに、市販車のシルエットが残ることから、シルエット・フォーミュラ、スーパーシルエットと呼称されるようになる。

2021, Racing on,「【忘れがたき銘車たち】ターボ軍団の番長、トミカ スカイラインシルエット」(https://www.as-web.jp/racing-on/686502 2023年7月6日にアクセス)

 

百聞は一見に如かず、ではないが、スーパーシルエットを代表する車両、トミカ スカイラインシルエットを見れば、それがまさに「族車」のお手本となったことが即座に理解できるだろう。地を這うような低い車高、車両前方下部の板のような突起(チン・スポイラー)、極端に拡張された車幅、リアには大型のウイング。今見ても特徴的で魅力のあるシルエット・フォーミュラは、当時の観客にも当然鮮烈な衝撃をもって迎えられた。そして抱いた憧憬をそのままに、グラチャン族はスーパーシルエットシリーズが始まってからというもの、こぞってそのスタイルを模倣し始めた。

以上が、俗にいう「族車」が生まれた経緯となる。

 

4.憧憬と誇張

族車がおおまかにスーパーシルエットの外観的特徴を参考とする一方で、しかし見比べてみるとやはり単純なコピーではないことがわかる。彼らは憧れを愛車に落とし込んだうえで、あえてホンモノから極端な誇張、目立つための全く新しい要素などを織り交ぜている。ここからはパーツ単位で改造箇所を切り分けていき、レーシングカーからのレファレンスである部分とオリジナルの部分を分析していく。

まず前方から見ていこう。バンパー下部に位置する板のようなチン・スポイラーは、チンの意味する通り、クルマの顔、その顎部分に存在するスポイラーである。顔の下部に張り出した板状の物体であることから「デッパ」とも呼称されるそれは、スーパーシルエットの持つバンパー下半分が一体化したフロントスポイラーとは似ても似つかない。レーシングカーの擁するパーツであるから、当然フロントスポイラーは空力的なアドバンテージを得るために考えて作られたものであるし、空力性能に関して現在ほど洗練されてはいないとはいえ、実際確かに効果があったという。

一方で族車のもつそれは、見た目をまねたうえで、通常ではありえない長さへと延長されており、むしろ走行性能にマイナスのものである。これは彼らが走行性能というより、いかに目立つか、どれほど派手なのかというドレスアップの意味合いを強く持って改造していた証左といえるだろう。

次にボンネット部分に目をやる。族車によく見られるのは、先ほどの「デッパ」同様に大きく延長されているボンネット、通称「ロングノーズ」である。ロングノーズという言葉はふつう、自動車業界ではボンネットがボディの占める割合の多い車の形状それ自体を指すが、同じ言葉でありながら、族車の文化では専ら前方向に伸びたボンネットのことを指す。これはスーパーシルエットには見られない改造で、族車のオリジナルとする文化であるといってよい。もちろん理由は目立つため、あるいは車で目に位置するライトの上部分が隠れ、目つきが悪くなる=ワルな雰囲気が出ることを狙っての改造であるといわれる。

そしてボディ全体、やはりところどころに誇張はあるものの、そのボディワークはやはりスーパーシルエットをまねている。横幅が拡張されているのは、レーシングカーにおいて通常より太くグリップ力のあるタイヤを履くための措置であるが、族車も同様に太いタイヤを履くことが多いので、珍しくここはレーシングカーと族車で目的が一致しつつ、実際に役割も果たしているといえる。また、これは個体によってまちまちであるが、これまたスーパーシルエットをまねた大型のウイングが後部に鎮座していることも少なくない。

最後に排気管、マフラーに目を向ける。族車に多く存在するのは、読んで字のごとく「竹槍」のようなとてつもなく長い「竹槍マフラー」である。目立つだけでなく、加工技術を見せつけるために時に星型などの形状をとるそれは、外見的主張以外のメリットはもたず、むしろデメリットの方が圧倒的に大きい。排気効率は悪くなりパワーダウンを招くうえ、当たり前のように違法改造である。しかしこれほどまでに「族車」の性格を表している部品もまた、竹槍以外に存在しないのではないだろうか。とにかく目立つ。性能は二の次。もはや潔い彼らのスタイルは、ある種の突き抜けたアート根性とも受け取れる。

 

5.おわりに

総合して、「族車」の外見は自動車レースで活躍するレーシングカーの影響を大きく受けているものの、その模倣には誇張が含まれているといえる。速さを求めて異形となったレーシングカーと、その形状を憧れから真似、目立つための装飾をさらに付け加えた族車では、やはり目指すところから違う。レーシングカーが備えるのはまさしく機能美であり、ただひたすらにスピードを突き詰める過程で、結果として見る者に強烈な印象を与えるような容貌となるに至ったのだと言える。一方で、ただ目立つ、憧れを形にするという目的だけをもって改造された族車は、車という実用品とふつう相反する観念が持ち込まれているという意味で、稀有で興味深い存在であるといえる。

アウトサイダーアートの代表的な人物に数えられるヘンリー・ダーガーは、自ら絵を描くことをせず、しかしまるでコラージュ・アートのように雑誌の切れ端や絵本の挿絵を繋ぎ合わせ、物語を紡いだという。既製品の組み合わせも時にアートになり得るのであれば、「族車」もまた工業製品である車をベースとしていながら、アートに数えることができるのではないだろうか。

 

参考文献

2021, Racing on,「【忘れがたき銘車たち】ターボ軍団の番長、トミカ スカイラインシルエット」(https://www.as-web.jp/racing-on/686502 2023年7月6日にアクセス)