毎日ウホウホ

森の賢者になりたい

ヒロハタ・マーキュリーの数奇な運命と、ミュージアムが果たす役割

 

  1. はじめに

 ミュージアム。日本語で博物館と呼ばれるそれは、15世紀ヨーロッパの「驚異の部屋」に端を発する。当初は諸侯や有力貴族が世界各国から蒐集した珍品を客へと披露する場であり、個人的なコレクションに過ぎなかった。しかし18世紀になると、やがてそれらは一般に広く公開されるようになる。そのため、最も古くから存在するミュージアムのひとつ、イタリアのウフィツィ美術館は元をたどればメディチ家の蒐集物群であるし、かの大英博物館ももとは蒐集家、ハンス・スローン卿の個人的な所有物を収容した場であった。

 そんなミュージアムは、国の国宝や重要文化財を保護し、価値を可視化、あるいは少数派の声を公共圏に届けるなど、様々な役割を担う。日本でいえば、まさに国立アイヌ民族館などは、文化財を保護すると同時に、過去に生きたひとびとの声を遺し、また今を生きるひとびとの声を多くの人に届けるという重要なロールを果たしている。

 

 今回はそれらミュージアムの役割の中でも、文化を語り継ぐという側面にフォーカスし、自動車博物館、そしてそこに収蔵されたある一台のクルマを例にとって、その意義について検討する。身近にあふれていて、あくまで道具、工業製品に過ぎない自動車は、時にまるで鏡のように人々の文化、営みのありのままを映す。そんな額縁に入らない芸術品たちは、いったい何を語り継ぐのであろうか。

 

  1. ピーターセン自動車博物館

ピーターセン自動車博物館の外観。2019,MoTA,「LA最大の自動車博物館でまさかの“族車”が殿堂入り!?|アメリカで再会した懐かしの暴走族スタイルがムネアツ過ぎる」(https://autoc-one.jp/toyota/special-5004274/,2024年1月14日にアクセス)

 アメリカ、ロサンゼルスの中心街、ミッド・ウィルシャーエリア。ロサンゼルスカウンティ美術館のほど近くに、風変りな造形をした巨大建造物が鎮座している。その名をピーターセン自動車博物館。文字通り、自動車を保管・展示するミュージアムである。アメリカの自動車雑誌、「ホットロッド・マガジン」のオーナーであるロバート・ピーターセンによって創設されたその博物館は、古今東西、あらゆるクルマを取り揃えており、収容する台数は300台を超える。

 展示内容は時期によって異なり、博物館自体が所有する自動車から、企画展の際にはときに他の博物館やコレクターなどから貸与されたクルマも並ぶ。展示期間外のものは「ヴォルト」と呼ばれる地下の大規模保管庫に丁重に保管されており、これも見学ツアーなどで一般客もその目に映すことが可能だ。

 

 そんなピーターセン自動車博物館の保管車両、および展示車両の内容は非常にバラエティに富んでいる。世界初の自動車である三輪のベンツ・パテント・モートルヴァーゲンから、「フォーディズム」の語源でもある、今に繋がる大量生産手法によって作られたT型フォードといった歴史的な車両、ポルシェにル・マン24時間耐久レースにおける悲願の初優勝を与えたポルシェ917Kなど、競技シーンにおいて快挙を成し遂げた車両。他にも、誰もが知る映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場するデロリアン・タイムマシンをはじめとした、映画の撮影に用いられた車両も含まれる。しかし、興味深いのはこのような伝説級のクルマたちの中に、市販車として売り出されたのち、ユーザーの手によって改造の施された、いわゆる「改造車」も含まれているというところだ。

 

 改造車というと、日本では特に野放図、イリーガルなイメージが強く根付いているといえる。たとえばかつて多くの暴走族が駆り、街中に轟音を響かせた俗にいう「族車」や、車高が低く改造され、今にも地面に擦りそうな改造車などは、古くからヤンキー文化とともにあり、ガラスケースに丁重に飾られるような美術品とは断じて受け止められない。しかし、時として改造車は、まるでミュージアムが担うそれと同じように、文化を語り継ぐという重大な役目を果たす。少なくとも、ピーターセン自動車博物館はそう判断した。

展示されているヒロハタ・マーキュリー。著者撮影

 たとえば、ミントの車体色が目を引く、流麗なフォルムを備えたこのクルマは、1951年型のマーキュリー・クーペという。一見シンプルなマシンだが、「ヒロハタ・マーキュリー」という異名をとる伝説的な改造車であり、当時の文化を体現する、寡黙ながら雄弁な語り手、時代の生き証人でもあるのだ。

 

  1. ヒロハタ・マーキュリー

 かつて、アメリカにボブ・ヒロハタという日系人がいた。1952年、海軍を退役したばかりの彼は、本格的なカスタムカー(改造車)でロサンゼルスをクルーズすることを熱望し、まだ発売されたばかりであるマーキュリー・クーペを、白紙小切手とともに一流ショップ、バリス・カスタムズに持ち込む。自由に、制約なく、想像力のままに、出来うる最高の改造を施してくれ、という依頼とともに。

改造の施されていない51年型マーキュリー・クーペ。 WikimediaCommons(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mercury_Club_Coupe_1951.jpg,2024年1月14日にアクセス)

 依頼から数カ月を経て完成したマーキュリー・クーペは、他に類を見ない、唯一無二のカスタムカーとなっていた。目を引くのは3つの1951年型フォードグリルから贅沢に作られたフロントグリル、1952年型ビュイックから取られたサイドトリム、そして改造された「フレンチド」ヘッドランプ。ドアとトランクの角は丸く加工され、後部窓は柱を撤去、全く新しい屋根部分を代わりに備える。内装装飾にまで手が加えられており、仕上げにアイコニックな「アイスグリーン」として知られる淡い緑色に染められたそのクルマは、細部に至るまでもはや「変更されていない箇所がない」ほどの大改造が施されていた。

 

 結果としてヒロハタに請求されたのは約3500ドル、現在の価値にして3万6500ドルもの大金であった。彼はのちに雑誌の取材に、以下のように語っている。「持ち物をすべて売り払い、代金を支払うために大叔母を困らせなければならないほどだったよ。でも、それだけの価値があった。」

ヒロハタ・マーキュリーと、そのオーナーであるボブ・ヒロハタ。 2021,StreetMachine,「Hirohata Merc sold for US$1.95 million」(https://www.streetmachine.com.au/features/hirohata-merc-custom-legend-2020-movie-review,2024年1月14日にアクセス)

 これまでの改造車とは一線を画すヒロハタのマーキュリー・クーペは、モータートレンド、ホットロッドといった人気自動車雑誌に登場するようになり、コンテストにおいて前例のない数の賞を受賞する。それは全米のカスタムカービルダーに大きな衝撃と多大なる影響を与え、いつしか人々はそのクルマをこう呼ぶようになった。「ヒロハタ・マーキュリー」。

 

 ヒロハタ・マーキュリーは、その後数奇な運命を辿る。1955年には派手な金色に塗装され映画に登場、まもなくヒロハタに手放され、複数人のオーナーを経由しながら幾度とない事故と修繕を経験することとなる。カスタムの人気も次第に薄れ、1959年、中古車販売店に並べられた多くのクルマのうちの1台となっていたそれは、最終的に、ジム・マクニールという高校生にわずか500ドルという安値で売却された。しかしながら、幸運なことにマクニールはこの車の重要性を理解しており、マーキュリーは5年間彼の愛車として走り続けたのち、家庭に専念するために倉庫へと保管される。

 

 ふたたびマーキュリーが日の目を浴びたのは、実に1980年代に入ってからのことだった。当時を知るほとんどの人が、すでに失われてしまっただろうと考えていた伝説的なカスタムカーは、依然として倉庫の中で眠りについていた。しかしながら、マクニールが自動車雑誌ロッド・アンド・カスタムの編集者に連絡を取ったことで、その生存が明らかとなる。雑誌は修復に資金を提供し、掲載を条件に、マクニール自身がすべての作業を執り行うことに同意した。

7年半にもおよぶ作業の末、一時はオリジナルの状態を失っていたヒロハタ・マーキュリーは、歴史的な遺物の復活に対する賞賛と切望もあり、完全に制作された当時そのままの輝ける姿を取り戻すこととなる。そして最後の塗装の仕上げは、生前のヒロハタとは生涯を通してよき友人であったジュニア・コンウェイという男に委ねられた。まさしく画竜点睛、かつてある男が、持ちうるすべてをつぎ込んで手に入れた本物の竜は、魂をふたたび吹き込まれ、あるべき形を取り戻したのである。

 

 そうして復活したヒロハタ・マーキュリーは、2009年以降、米国内務省、そしてアメリカ議会図書館との提携プログラムとして米ハガティ財団が運営している「国家歴史車両登録簿」にも名を連ねている。このクルマは単なる改造車でなければ、工業製品の枠にもとどまらない。まさしく、その時代と文化を示す「文化財」として認められ、今なお保管されている歴史的な遺物であるのだ。

 

  1. 記されぬ文化

 ここまでは、ヒロハタ・マーキュリーという一台のクルマの半生である。以下では、そのクルマ、敷いては自動車が、後世へと語り継いでいく文化について記す。

 

 前述した通り、改造車というものは、とりわけ日本では違法で物騒なイメージが根付いている。ヤンキー、暴走族。彼らの文化は、教科書には載らず、また文献にも多くは残らない。つまるところ、「記されぬ文化」とも形容してよいだろう。

 記されぬ文化の中には、稀に人々の営みのなかで受け継がれるものもある。外套の一種、モッズコートもそのひとつだ。

 

 実は、モッズコートの「モッズ」という言葉は、イギリスのある集団、それも暴走族に由来する。1960年代、モダンジャズを愛好する集団、モダーンズ、転じてモッズは、沈滞したムードに包まれた戦勝国における感情のやり場のない若者たちであった。社会への反抗の証として彼らが選んだのは、イタリアの細いシルエットを持つスーツ、そしてこれまたイタリアの手になるスクーター、ベスパやランブレッタだったのである。

映画『さらば青春の光』の一場面、改造スクーターを駆るモッズ。 ©2006 Universal Studios. All Rights Reserved.

 モッズがスーツに身を包み、大量にミラーやライトが取り付けられた改造スクーターで街を流す際、問題になったのは英国の冷たい風と汚れ。そこで彼らが選んだのは、当時安くで手に入った、米軍の余剰品であるミリタリーコートであった。そして、次第にそれら軍用コートは、「モッズコート」と呼ばれるようになった。

 このような経緯があり、暴走族であるモッズとそのスタイルは、コートの名として今なおアパレル業界に名を残す。ゆえに世に出回るモッズコートには、ミリタリーに由来する意匠が色濃く反映されているわけだ。

 

 モッズのように、営みの中に語り継がれる記されぬ文化もある。ただ、先ほど述べたとおり、そんな例はごくまれなものだ。ヒロハタ・マーキュリーでさえも一時は忘れ去られ、倉庫の中で眠り続けていたように、ある種の文化は記されず、次第に口伝する者もいなくなり、歴史の闇に葬り去られる。

 そのような記されぬ文化を語り継ぐのが、他でもない改造車なのだ。クルマは多くを語らないが、しかし適切なメンテナンスを受けることができれば、人間よりもはるかに長く生きる。まるで小説が過去に生きた人間の筆致を生かし続けるように、絵画が時代を超えて人に普遍的な美を示し続けるように、クルマはその時代に生きた若者たちのリアル、文化を体現し続けるのだ。

 だからこそ、文化を語り継ぐモノを美しい状態で保管する装置として、ミュージアムもまた大きな意味をもつ。そして同時に、改造車を所蔵する自動車博物館をふくむミュージアムは、「記されぬ文化」をも伝えるという重大な役割までも内包するのである。

 

 余談だが、ピーターセン自動車博物館は日本における暴走族の車両、族車をも所蔵している。そのトヨタ・クレシーダ(北米におけるマークⅡ)は、最近になってアメリカ人によって制作された再現車両だが、過度に強調されたスタイルは日本の暴走族を完全にトレースしている。派手なカラーリング、車体前方下部のまるで板のようなチン・スポイラー、「タケヤリ」と呼ばれる驚くほどに長い排気管は、典型的な族車と呼ぶにふさわしい。この族車もまた、海の向こうで日本の若者の文化を残し続けてくれるだろう。

1980年型トヨタ クレシーダ。 2019,MoTA,「LA最大の自動車博物館でまさかの“族車”が殿堂入り!?|アメリカで再会した懐かしの暴走族スタイルがムネアツ過ぎる」(https://autoc-one.jp/toyota/special-5004274/,2024年1月14日にアクセス)
  1. おわりに

 以上のように、自動車、とりわけ改造車は、時代に応じた「記されぬ文化」を語り継ぐ役割を果たし、同時にそれらをもカバーするミュージアムは、国によって保護されるような民俗的な伝統文化のみならず、幅広い文化を世に遺し続けるのである。

 温故知新、という言葉がある。古典や伝統、先人の学問など、昔の事柄の研究を通して、新しい意味や価値を再発見する、という意味の言葉だ。その故きを温ねるのにも、やはり語り継ぐものの存在が必要不可欠である。これからの未来を考えるために必要な過去、そうしたものを残すために、ミュージアム、そしてそれが保管し続ける品々は、人類になくてはならない存在といえるだろう。

 

参考文献

Hagerty,「National Historic Vehicle Register 1951 Mercury Hirohata Merc」(https://www.hagerty.com/marketplace/78598943/nationalhistoricvehicleregister/743b213f-c2d4-4d15-a6de-11700e28da1f,2024年1月14日にアクセス)

 

2019,MoTA,「LA最大の自動車博物館でまさかの“族車”が殿堂入り!?|アメリカで再会した懐かしの暴走族スタイルがムネアツ過ぎる」(https://autoc-one.jp/toyota/special-5004274/,2024年1月14日にアクセス)

 

2021,StreetMachine,「Hirohata Merc sold for US$1.95 million」(https://www.streetmachine.com.au/features/hirohata-merc-custom-legend-2020-movie-review,2024年1月14日にアクセス)

 

WikimediaCommons(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mercury_Club_Coupe_1951.jpg,2024年1月14日にアクセス)